ふとおもったことを綴っていく日記

好き放題書いていきます。テーマは特に決まっていませんが、徐々に絞っていけたらと思います。

うらめうらめにでちゃうとき

ゆっくりと何かを書くにしても

テーマとかいろいろ決めなければなりませんが、

そもそもこのブログ自体にそんなに高尚なことを

求めることはナンセンスに等しいと思う今日この頃。

外は雨ですね。

 

 

さて、人生山あり谷ありの人生で、

いま自分としても模索中でございまして、

いったいどこに向かうのか、どこを向いていいのか

わからないことだらけでございまして

そんなふわーとしている時期なのかもと

開き直っている段階です。

 

この状況をなんとか打破しようとしても

なかなかうまいことはいかず

いろいろな思惑が錯綜しいる中、

ただもがいてもがいて今に至るような状態。

 

そんな自分と向き合っていると

どんどんと消えていきそうな泡沫のような

一連のさみしさがただ体からあふれ出しております。

 

いったい何ができるのかわからないけど

文章を書くことはできる。

そしてものづくりにおいてめざしたいことは

ちょこちょこあるけれど

なかなかそこにはたどり着かない虚しさ。

 

まぁ、まだなんにも始めてないから

ただのひとりごつなんですけどね。

 

今まで毒づいていた自分が恥ずかしかったり

結局何かに依存しなければ自分は生きていかないんだなと

つくづく思います。

ちゃんとしているつもりが

裏目に出ている無常感。

 

今は充電中。

でも動いておきたいけど

どうしたものか。

 

今時間だけは腐るほどあって、

それを生かすも殺すも自分次第であると

わかりながらのうやむやしております。

 

ああ、そうです。ちょっくら病んでるんです。

燃え尽き症候群というか、この時間、つらいね。

 

でも酒には逃げない絶対。

6年近くいた会社を辞めたら、びっくりするほど「モテ期」を感じれた

唐突ですが、私は今いる会社を、

6月15日付で退職します。30手前の決断です。

 

次行くところは決まっています。

ここよりも刺激的かつステップアップできるところだと

自分に言い聞かせております。

 

恨みつらみをココに記してもいいのですが、

まぁ、オンをアダで返すのも自分の義に反することでありますので、

ここでは控えさせていただきますが、(と言いながら匿名の青い鳩には

あんなことやこんなことなど。ね。)

最低限感謝の気持ちを忘れずに旅立って行きたいと思います。

 

だいたい6年近く今の会社で在籍したのですが、

6年前に考えるといろいろと環境が変化していきました。

特に4年目ぐらいからはすごいスピードで時が過ぎていき、

退屈すること無く走り抜きそうな満足感を覚えております。

 

今回、退職するのにあたり、

自分がこの会社でどれほど貢献できたのか、

退職直前でいろいろわかってきて、調子をこいております。

去る者追わずのスタンスの今の会社において、

いろいろ引き止めれてる声が多いのはなんともここちよい瞬間でございます。

同時に今迄会社のことを休みの日もずっと考えてきた自分にとって、

ぽっかりと穴が飽きそうな虚無感も感じております。

 

このブログがどんな読者がみているのか

わかりませんが、そんな「人気者になって辞めるため」にどうしたらいいか。

ここで記しておこうと思います。

 

  • 社員すべてを愛する気持ちをずっと持っておく
  • 仕事をずっと好きになり、楽しむぐらい染まっちゃう

 

これしれっと考えみたら社畜そのものじゃないか。

おそらく、私とおなじことしたらメンタルはすれすれになり潰れてしまうので、

決して真似しないで下さい。本当。参考にしないで下さい。

でも、それを乗り越えた今、

なんともいえない優越感はめったに味わうことができないものです。

私自身は自分で言うのも何ですが、とっても不器用で、

自分自身が大嫌いな人間です。

でも人に頼られることは大好きで、どんなことでも

首を突っ込みついつい仕事を増やしてしまう性分です。

それと私はドMでもあります。

この6年間、会社から与えられた恩恵は、

増税に伴っての給与5000円アップのみです。

それでも毎日楽しく勉強だとおもって、日々過ごしておりました。

途中、結婚もして、式も挙げちゃいました。

それでも給与はあがるはずもなく、売上も入社当初からヨコバイな状態。

そんなんでこの期間をよく耐えたなと、自分でもほめております。

そりゃたまには歯向かったりしたものの、

「よそ探せば、ここよりひどいとこあるよ」と説き伏せられました。

 

(いやいや、ここよりひどい所探さないですし。

そんなんで労力かけたくないですし。

下探してたらキリナイですし。うえみましょうよ上。)

 

30才が近づくにつれ、いろいろ不安になっていた所、

次の会社様が私を見つけてくださり、退職を決意しました。

 

まぁそんな経緯があるのですが、今となっては

しっかりと会社の歯車になっており、

回していた一員となっていたことは

何も出来ない自分にとっては誇りで思うと同時に、

「ざまぁみやがれ」と小便をかけたい気持ちも芽生えています。

 

ありがたいことに、辞めると決まってから、役職の地位も用意頂けるとの

声もありましたがそれを蹴ったことに得る快感は癖になりそうです。

 

一つ言えることはこれはエンドではなく、スタートです。

改めて身を引き締めなければ。

しかもこのタイミングで嫁に新たな命という福音が舞い寄ってきました。

まだまだ安定期に入ったわけではありませんが、

なんでこんなタイミングなんだよ。

と思いながら、幸せを噛みしめております。来てくれてありがとう。

 

こんな感動、今迄この会社を退いた方にはわからないでしょう。

残り勤務、2日。さぞかしこの幸せ野郎を僻んだり、妬んだり、

もの凄く受けそうな予感。そんだけモテてる証だよね。うん。

でもいいんだ。後2日だし。よく6年。頑張ったもんだ。

目標を設定すること

はやいもので2016年。

2015年は全然更新してません。

特に何もなかったっていう事はなく、

いろいろありました。

ま、誰かしら生きてりゃなんかあるのは

世の常というモノで。

 

何を書こうかと書き始める前に辞めちゃう。

 また思い立ったら書こうという気力が起きて、

知らぬ間に鎮火する。

 

4つ下書きがたまってて、だいたいどれも3行ほどで諦めてました。

 

でもその中で言いたい事は同じだったので、

おそらくこれから書き綴るものは

ずーっとうちに秘めたもの、

このブログをはじめていろいろ気づいた

中間発表みたいなものです。

 

***************

 

赤ちゃんが1年で首が座り、

ハイハイやつかまり立ちを覚えるように、

1年という歳月は赤ちゃんにとっては

目まぐるしい環境と成長の変化を遂げていきます。

 

それは身体の成長においては当たり前と言われていますが、

大人になっても1年の変化というモノは非常に大きいなと

最近感じるのです。

 

私が今の会社に入社して5年近く経っていますが、

その年度ごとに見る景色がだいぶ変わってきました。

 

新人から脱却、そして新たな仕事にチャレンジし、

人事での別れや迎合などその都度に置いて環境は変化していきました。

変化するたびに、目標ややりたいことなど変化していき、

それがingとなって今に至るわけですが、

未だに、「これからどうなりないの?」という

質問には頭を抱えておるわけでございます。

 

その部分がまだあやふやなのは弱さであるというのは

重々言われていて、「あぁ、何も言い返せねぇな」と

猛省しておりますが、それに対しての解決の糸口というモノは

なかなか見つからず、「もういっそ弱いままでいいかな」と

開き直っちゃうことにしようかなと最近移行しようかなと

考えている次第です。

 

「弱いのも、続ければ力になる」

 

継続は力なりとは言いますが、

その通りかなと思っており、

とりあえず、目の前にのことを

小さなことからコツコツとやっておけば

なんとかなるのかなと気づきました。

 

さて、長い前置きはさておき、

目標を設定することは、とても大切なことです。

 

そして具体的に考えていったときに、

逆算して今何をしなければならないのかに

繋がるので、人生設計を考える上では

仕事・プライベート面問わず大きな指標となります。

 

ただ、目標の度合いは人によってそれぞれですし、

なかには目標なんてわからないって人もいることでしょう。

まぁ私もそうなんですが、

やりたいこと、なりたいものってぼやぼやっとしており、

明確に決まっておりません。

 

ただそれが悪いと感じたことはなく、

そんなことよりも目の前の事で

いっぱいっぱいで気が付けば歳月だけが

過ぎていくという感じです。

 

なんて不器用な生き方なんだと

自分でも思いますが、

歳月だけとかいたものの、

見える景色は1年前のものとは違っています。

 

波打ち際の砂のお城のように、

目標を設定しては打ち壊されて、

また築城しては流されての繰り返し。

 

ただ少しずつは積みあがっていき、

ふと冷静になった時、

形の出来は悪いにしろ、

高いお城になっていると気が付くのです。

 

人によってはきれいなお城のほうが

見栄も良いですし、立派だとまわりからも

称賛されることでしょうが、

私はその出来の悪いお城こそ

味のある素晴らしいものかなと思います。

 

目標を高く設定してしまうと、

崩されたダメージはより大きくなるでしょう。

それでもいけるんだと気持ちの強い方なら

きっと築き上げる事が出来るでしょう。

 

ただ私はそんなに強くはありません。

崩されたらまた一度ぼやっとした目標を作っています。

その繰り返しが自分らしいかなと。

そして出来上がった景色を楽しみたいと日々思うようになりました。

 

もしかしたらこの考えは一年後、変わっているかもしれません。

景色が違っているかもしれませんので。

 

ゆるーくいきましょう。

会社は学校ではないという言葉の違和感

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おはようございます。

 

ビジネスシーン(というか僕の職場)で、

叱咤の言葉に「ここは学校ではないんだ!!」というのを

よく耳にします。

 

おそらく、

 

学校のようになんでも

教えてくれると思ったら間違いで、

そんな社会は甘くない

 

的なことを言いたいからこの言葉が出るのだと思います。

 

 

よくよく考えたら、どゆこと?とすごく疑問に思います。

 

そもそも学校と会社の仕組みから考えてみると

 

学校=お金を払って教えてもらう

会社=お金を稼ぐ

 

てのはわかるのですが、おそらく

この言葉を頻発する人って、

「会社≠お金をもらいながらも教えてもらう」

って考えてるのではないでしょうか。

 

会社の利益って、

従業員が商品やサービスを消費者に提供し、

その対価として得られる報酬のことですから、

従業員同士で時間を費やして「教える行為」っていうのは

それ自体にはお金が発生しません。

 

ですが、未来の投資ということを考えると

上司が時間と効率をとりあえず置いておいて

手塩にかけて育てるのも有効な手段だと思います。

 

といいますか、そもそも、「教える」行為って学校だけではないです。

じゃ、どうやって新人を育てるのよって話です。

 

確かに教えてもらうっていう受動的な態度は、

本人の成長の妨げになるのはわかりますが、

教えなければ何もわからないのは当然です。

 

タイトルで調べてみると

 


会社は学校ではない。先輩が仕事を教えるという義務はないし、責任もない ── 盛田昭夫 - WISDOM

 

って出てきました。

 

まぁ確かにそうなんだけれど、

これって大手の話ですよね。

トヨタという超ド級安定企業だからこそ、

自発的な行動が求められるし、

出来ない人は自然とふるいにかけられて当然です。

分母が多いのですから、それぞれに時間をかけるのは

難しいと思います。

 

僕がいいたいのは中途半端な規模の会社や

ワンマンといった会社、人手が足りないところに限って

この言葉がよく出るのがすごく違和感なんですよ。

 

もちろん、学生気分のままに就業されると

やっぱり責任とかなんちゃらが腑抜けになってしまうのは

困ったものですが、

それなら

「学生気分を正して、責任ある行動を心掛けなさい」

で言ったらいいと思うのです。

 

そこまで規模が大きくないのに、

人手が足りないくせに、この言葉を頻発する会社は

要注意です。

炎上とかについて

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なんか書かなければいろいろ腐っていくなぁと感じて

今回はいいフレーズがふと

思い浮かんだので書き連ねてみる次第。

 

ネットとかでは絶対と言っていいぐらい

話題になる「炎上」。

 

思ってもいないところから火がついて、

知らぬ間に消え失せる。

今では乾燥している冬場と同じぐらい

日常的な現象となっております。

 

さらにイケダハヤト氏のように炎上して

銭儲けしている人もいる訳で(故意ではないと思いますが)

ネットをするからには切っても切り馳せない

すごい身近なものとなっております。

 

で、僕の意見ですが、

なんでそこまで火がつくのか意味がわかりません。

 

ネットって気になるものがあったらすぐ調べる事が出来る

すごく便利なものだと思いますが、

所詮、顔も名前も知らない人が発信した

情報を見てるだけだと思います。

 

最近では匿名でなく実名でいろいろ

意見とか見解とかを発する方がおられますが、

それでもお会いしたこのない方がほとんどだと思います。

 

そんな環境から出た意見や見解に

どうしてわぁわぁ外野からボヤを起こさせるのか、

全く理解できかねる訳です。

 

 はっきり言います。

 

ネットの文章なんて、

「そこいらの便所に書かれた落書き」

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と一緒なんです。

 

だれが書いたのかもわからないものに対して

わぁわぁ喚きたてるのって、みっともなくないですか。

 

おそらくそこで火を起こしても、

なんら人生には影響も問題ございませんし、

改善もされないのがほとんどだと思います。

 

無駄な争いをするのではなく、

まったりと楽しめる。それでいいではございませんか。

 

以上、便所の落書きからの意見でした。

 

なんとかなるを信じよう

さて、暇すぎてというか今の業務にやる気がわかないんで

気分転換も兼ねて書いていこうかなと。

 

20代後半を歩んでいる私ですが、

この前結婚しまして、もうすぐ6か月経とうとしています。

 

正直今、年収が320万ほど。

どこぞの婚活されているレディースからしたら

だいぶ見下されるですが、

それでも案外なるもんだなと思っております。

(嫁も働いてもらってるしね)

 

さて、晩婚化が悩ましい昨今でございますが、

やっぱりお金のことってすんごく大事なわけです。

 

私自身もそこまでお金について考えたことはなかったのですが、

この人生の岐路を通じて思ったことを書いていきます。

 

  • お金なんて、意外となんとでもなる

 

まずこの一言です。よく周りにそんなお金じゃなんもできねーと

わめいて婚期を逃す人がよくいます。

相手がいないのであればしかたないのですが、

はっきり言います。この人!って思うなら、今、するべきです。

 

確かに、私自身も先述のように、大した所得はもっておりませんが、

今こうやって生きており、人並みに結婚生活をおくれております。

おそらく恵まれているほうだと思うのですが、

正直結婚する前は、「この給与じゃ絶対無理!!」と

ずっと思っておりました。

 

人生は一度きりで、結婚もタイミング大切です。

いざ踏み切ったら思いのほか、いろいろな人に助けられたし、

今もそこまで苦労しなくて生活できてます。

ほんと、踏み切ってよかったと思うのです。

 

でもこの給料で満足するわけでなく、

もっと稼いでいきたいという目標も出てきてます。

(じゃぁ仕事さぼらずに業務に戻れよ)

でもあの時、プロポーズしてなかったらとおもうと、

おそらく今は張り合いの無い社畜として

ずっと嘆いていたと思うのです。

 

これは結果論かもしれませんが、

ずっと想い続けていたのは

「なんとかなる」っていう言葉です。

 

お金のこと心配しても急に大金貰えるわけではありません。

このご時世何かアクション起こさない限り、

がって給料あがることなんて稀有でしょう。

 

じゃあどうするの?って話で

じゃぁ覚悟しましょうよって話です。

 

お金が全てではありません。

自分の人生にたくさんの人が

登場していること、そのたくさんの人に支えられていること、

そして新たにたくさんの気づきが生まれること、

結婚を通じてたくさん学ばせていただきました。

 

おそらくこれはどんなに大枚をはたいても

手に入れることができない

プライスレスな人生経験だったと思うのです。

 

死んで良しにする社会になんかしてはいけない

ほんとこのブログ書くの久し振り。

 

前回書いたのが今年の3月って、どんだけ書いてないんだよ。

 

とりあえず近況報告ですが、

結婚しました。

 

はい。以上。

 

さて、本題にはいりますが、

この事件


Yahoo!ニュース - ステーキ店長過労自殺 パワハラ、半年で休日2日だけ (産経新聞)

 

読んだらわかるけど過酷な状況で辛くなってお亡くなりになった方の事件。

確かに、暴力は良くない。働くってことは決して暴力を受けるところではないし、

身を粉にしてお金を得る行為でもない。

 

もちろん、ご本人はこの環境が辛くて、身を投じたのかもしれないけれど、

ニュース見たら、損害賠償が発生しております。

 


店長自殺、パワハラ原因=ステーキ店側に賠償命令―東京地裁 | ニコニコニュース

 

この場合、企業が完璧に悪いのですが、

賠償はお金を払って「ごめんなさい」でなるのは

仕方がないと思いますが、私が違和感ありありなのは、

それに対して遺族にインタビューする無神経さ。

確かに当事者から近しい存在だから、

そこからえるコメントって貴重だろうけど、

「これであの子は報われます」って、

それテレビで流していいこと?

 

労働条件がクソみたいで死人が出たから、

正していこうというのだったらわかるけど、

これって「死んだら解決するよ!」、って

自殺を促しているようにしか見えない。

 

一番悪いのは死に追いやった企業はわかる。

でも死んではダメ。ほんと。

反感買うかもしれないけど、死んだ店長も悪いよ。

 

この報道で同じ境遇に立っている人たちが

続けざまで首つったらどうすんの?

そこまで考えたら死ねないよね?

 

私がメディア側だったら、

「死ぬなんてバカ息子!こんな思いをほかの人にもしてほしくない。」

みたいなこと流すけどね。

 

もっと生きるってことに、前向きなとこ流しましょうよ。

 

死んでwin-winなんて絶対にありえない。

 

もし同じ境遇で悩んでる人、そんな会社辞めなさい。

とんでもいいからやめなさい。

そしてしぶとく生きなさい。

 

生きてるだけで丸儲け。

そんな社会に希望を持てるよう、ともに頑張りましょう。