ふとおもったことを綴っていく日記

好き放題書いていきます。テーマは特に決まっていませんが、徐々に絞っていけたらと思います。

何のために働くのか

知らぬ間にプレビューが1000を越えとりました。

こんな戯言に付き合ってくださって感謝です。
とはいってもその中の2割ぐらいは僕の足跡っぽいですが、
まぁ、これからも気長にぼちぼちいくんで宜しくです。

確か、以前社畜がうんぬんっていう記事を書いたのですが、
それについて、だいぶ考えが変わってきたので、
「働く」ということについて
もう一度考え直そうと思います。

で、今回のタイトルになる訳です。

おそらくこの質問はこれから就活される方にとっては
嫌というほど問われると思います。

正解・不正解というのはないだろうと思うのですが、
「まずは自分のため」であると僕は思っています。

はたからみると自己中かもしれませんが、
やはり自分が充実していないと、働けないと思うのです。

自分の為に働くのには何個かパターンはあります。
①プライベートを充実させるため(趣味とかいろいろ)
②家庭を持つため
③技術を覚えるため

僕からするとこの3つは働く上で、大切な理由だと思います。

何も会社の業務を等閑にしろっていっているわけではありません。
頑張れる理由があるからこそ、業務もこなせるのです。
さらに、自分を磨き上げるのにはなんていったって資金がかかります。
だからこそ精一杯働いて結果を残し、給与として還元されることを所望します。

このご時世はこういったモデルで組織として大きくなっていくのが理想的です。

ところがどっこい、
人手が足りないのに関わらず、
「何を甘ったれているんだ。まずは会社の為だろがい」
とそんなモデルはどこ吹く風で一蹴する古い体質の企業が多いのも事実です。

体感的にそういうところって、いわゆるブラック企業に多いような気がします。

もし会社の為に働いてもらうというのが全面的に強いところは要注意だと思います。
だって「会社の為なら死ねる」というものが成立してもおかしくないのですから。

ほんと、作戦は「いのちだいじに」がいちばんです。

とはいっても最近の若い方は無気力なまま、業務をこなす方も多いです。
それは一概にその若者が悪いというものでもありません。
(もちろん本人の意識は改善しなければなりませんが。)
不況不況と嘆かれて、人々が求めるのは、いわゆる「安定」です。
波風立てず、楚々と生きていたい人が増えたのが現状ではないでしょうか。

閑話休題。

働く目的というのは、結局何でもいいんです。
その目的意識というものが、様々な形へと変わっていき、
結果として会社という組織をつくっていければいいんです。
その目的意識が曖昧であるならば、まずは自分のために設定すればいいんです。
「地に足着いた」という言葉があるように、
まず自らをしっかり充実させてからでなければ、
何をするにしても中途半端になりかねません。

はるか昔農耕が中心の人々は生きるために
畑を耕していました。そしてもっと昔になれば
食べるものほしさにマンモスを追っかけていました。
これって究極の自分のためですよね。

だから、自分の為に働くのって別にかっこ悪くないと思います。
それが人として以前に、生命としての本能なのかもしれません。

「そんな社会は甘くねえよ」って前回は散々言ってきたのに、
今回はまさかその逆のことを書いています。
その理由は、「甘ったれてもいいじゃん」っていう社会がこの半年で
結構目の当たりにしたからでした。

でもその期間、まさかの半年。どんだけ自分を持っていないんだと、
そんな自分にうんざりしております。

ま、それが自分なんですけどね。

ホント、このコロコロ症候群は毅然としてなおりません。。。