ふとおもったことを綴っていく日記

好き放題書いていきます。テーマは特に決まっていませんが、徐々に絞っていけたらと思います。

辞めた子を障がい者呼ばわりする会社のお話

さて、ほんと久しぶりに書いている。

なんて言いますか、ホント、頭来たんですよね。

私の今いるところはいわゆる体育会系で、特に営業なんかは

数字が全てでそれに追い越せ追いかけで日々お互い業務に励んでいる

小さな事務所です。

私は制作系なので数字を追っかけなくて良いし、日々のほほん生きているのですが、

やっぱりわかい新人君にとっては、なかなか辛い環境であることは間違いないのです。

 

アドバイスを乞えば、自分で考えろ。

自分で考えた結果動いたら、どうして相談しないんだ。

まぁ、よく聞く理不尽ですが、それでどんどん潰れちゃうんです。

 

そんな環境の中、この前辛くて辞めたいという方がいました。

その旨をうちの上司いわば、支店長クラスの人に伝えたら、

今まで手塩にかけて育ててきたのに、

お前ときたら、それを仇で返すきか。何か自分で目標を乗り越えたら

辞めさせたるわ、とまさかの無茶振り。

 

結果を言うと、その方、目標を乗り越えられなくて、

ますます職場の居心地が悪くなっちゃって、

飛ぶという結論に導いたわけです。

 

ここまではよくあるのかないのかの話だけど、

(支店の幹部はそこを本社に隠して、円満退社に持っていこうとするのが

気持ち悪い)

今日、あまりにも呆れたのが、

上司がどっかからアスペルガー症候群ということを聞いたんですね。

アスペルガー症候群とは詳しくは自分で調べてください。

端的に言うと、ちょっとコミュニケーションがとりづらい

発達障がいみたいなもんです。

で話は戻しますけど、そのね辞めた方に対して、

アスペルガー症候群だったんだ。と決めうっちゃてるんですよね。

あぁぁぁあ、きもい。

 

で、これからうちにどんどん若い子が入ってくる予定なんですが、

なんかどっかのネットから拾った診断サイトを実施させて、

それで該当するんだったら、どんどん切ってしまおうという対策に

切り替えるという爆弾発言。

 

歩み寄るつもりはない。

着いてこれる子だけ着いてきたらいい。

 

その方針をまだ続けるんですね。

 

うーん。

足元見ましょうよ。

内の支店、この3年間で新しい方10人近く入ってますが、

円満退社でかつこの会社で働けてよかったという子いましたか?

 

。。。。

 

私もそろそろ去り時かな。

でも、まだこの会社でやりのこしたことあるしなぁ。

 

辞めたらこれからはアスペ呼ばわりされるんだろうね。

産地誤表記だとしても、美味しかったからOKにはならないのか

部屋の掃除をしようとして、

ちょっと休憩しようとしたら知らぬ間に

ネットをあちこち巡回しておりました。

 

いかんいかん。

で、そんなときに最近ホテルとかで話題になっている

ことに関係する記事、

佐々木俊尚さんのツイートまとめ/ホテルの結婚式でワインをシャンパンと表示し提供/「本物」とは一体何なのか?問題となった「表示」の是非について - Togetter

があったので、

ほう、たしかにそうかもしれないね。

と僕なりに共感したところも多かったので、

思いついた限り、打ち出していこうと思った所存です。

 

今回のタイトルとはちと話題は違いますが、

産地偽装とか、誤表記とか、

おそらくどこのホテルもやってるんだろうなぁ、と思っております。

ダメなことですけど、

今までは暗黙の了解として受け入れられたことが

些細な起爆剤から一気にはじけ飛んだ事例なのでしょう。

 

けしからんとか嘘つきホテルなんて潰れてしまえとか、

その後の対応が問題だ!!って意見が結構ありまして、

まぁ、お怒りになる気持ちがわからんでもないですが、

今後の対策と云々に関して、見守っていくぐらい寛大であったほうが

いいとは思うんですけどね。あくまで個人的な見解ですが。

 

僕も結構、結婚式とか近い感じで考えてるんですけど、

確かに、出てきた料理が嘘っぱちだらけだとしても、

まぁそこを選んだのは自分だしなぁ

って開き直るつもりではあります。

僕なんかは美味しいものが好きなんで、

料理にはこだわっておきたいし、

もちろんゲストに対して美味しいものを

食べていただきたいと願っています。

で、ぶっちゃけ、美味しかったら、もういいよって感じです。

(現に下見の段階での試食で、ここないなというところもありました。)

 

そりゃ、伊勢海老と言って、ちっこい桜えびが現物に

出てきたらなんでやねん!ですけど、

今回のやつって、結構微妙な違いなところなんですよね。

なんかエビとかって大きさで呼び方が違うみたいなこと

聞きましたし(ソースがありましたが、失念。)、

市販のジュースでも、フレッシュジュースより

おいしいものなんていくらでもあると思うんです。

 

騙すことは悪い!っていうのもありますが、

当事者たちは気づかずに、そのときは食事をおいしく

召し上がってステキなひとときを送ったのだと思います。

その時言わずに問題がでたらそれみたことかって、

なんかずっこいような。。。

僕からしたら気付かなかったほうが恥ずかしいです。

ってか何を今さらです。

怒っているのは当事者ではなく、

あまり関係のない外野の方だろうとは思いますけど。

 

確かに食とか、直接口の中に入るものですし、

一歩間違えればどこぞのレバー見たいに命の危機にさらされる

ことも大いにありえます。

だからといって、そこまでナーバスにならなくてもいいのではと思うのです。

 

雄山先生みたいに、食にこだわるのは大いに結構ですが、

こだわり続けると、すんごいお金がかかるので、

僕には今のような低給では追求できません。

とにかく何にせよ、うまかったらよしです。

 

さ、持ち帰った餃子の王将の餃子を焼こう!

ビールが美味しいに違いない。

悪ふざけに対する厳しい目とハイリスクな世の中

 

一時期、twitterFacebookにて、

いわゆる大学生とかアルバイトの悪ふざけ画像が

アップされているのが頻発していて、

そんな中こんなニュースが飛び込んできたのだけれど、

どうも、厳しすぎやしないかい、

なんか別のやり方があったのではないかとも思います。

 

 

別に大学生のやったことを肯定する気はないのですが、

おそらく本人はここまでことが大きくなるとは

思っていなかったのだろうなぁって。

ちょっとしたおふざけってだれでもやってしまうと思うんです。

それはなんでしてしまうかというと、

目立ちたいからですよ。

ちょっとした武勇伝として友達のネタとして

語りたいからですよね。

今まではバイトのばれないくらいのおふざけは

学校の休み時間とかで、「お前、ほんとくだらんこと好きだなぁ」

とか言いながら笑い合って、本来ならそこで終わっていた話です。

 

それが、twitterとかネットにアップしてしまった

いわゆる世間に可視化してしまったということで

どんどんと大げさになってしまったんですよね。

 

で、悪ふざけは所詮、やってはいけないことなので、

世間様からお叱りを受けてしまったんです。

本人には反省はしてほしいですが、

さすがにウンゼン万という請求はちょっとやりすぎでしょう。

 

そのお店が閉店してしまった原因で、

その行為だけなのかなと疑問視してしまいます。

確かに一因ではあります。

あの画像を見て、だれがあの店なんか行くもんか

っていう人もいると思います。僕も行かないと思います。

でもその後のフォローでは全然、挽回できたのではと思うのです。

例えば、当事者のアルバイトに謝罪をしっかりさせ、

皆で暖かく見守って下さいって言うのも一つの手段だと思いますし、

界隈の方たちにポスティングしてみたり、

アルバイトの男の子に反省の意味を込め、ビラ配りをやらせてみたり、

損害賠償を請求する以前に、やるべきことはたくさんあったはずです。

 

失った信頼というのはなかなか取り返せるものでは

ありませんが、アルバイトにそこから回復させるプロセスを

学ばせる良い機会だったのかもしれません。

 

果たしてちょっとしたおふざけが人生を狂わすほどの

悪事なのでしょうか。今の日本ってそんな厳しい

社会でしたでしょうか。

 

なんか息苦しい世の中になってきたなぁ。

結局、オレはオレだから、ブラック企業が減らない

さて、1ヶ月以上あいちゃいましたが、

10分ぐらいでさくっと書いちゃいますよ。

 

久しぶりすぎて書けるのかと思いますが、頑張ります。

 

まぁ、今回は僕の会社の悪いところを前提において、

書いていきます。ばれたらそん時はそん時です。

 

今朝、パワハラ云々の記事であったり、

アルハラの記事であったり、見ていた時に思っていたんですが、

それってどこの会社にでも存在するんだろうなぁと思っています。

 

で、いつまでもパワハラが減らない、

最悪増えているのは、内心に

「僕んとこは、あかんところあるけど、

そんな大層なものじゃないから、今のままでええんじゃないかなぁ」

って他人事にしているからじゃないかと思うんです。

 

例えば、パワハラがあったときに、

「上司から毎日のように罵詈雑言を浴び、

人格否定されて、自殺しました」

っていう記事を見た時、ダメじゃないか。やりすぎだね。

と感じる反面、

「うちはたまにはあるかもしれないけど、

教育の一環としてやってるだけだから関係ないね」

と保守に走っちゃいます。

そんなんが多いから、こういう事例が減らないんでしょうね。

 

どうして「明日はわが身かも」と鑑みることができないのでしょうか。

 

どの会社も良いとこ、悪いところはあります。

でも悪いところの改善が難しいのは

認めようとしないからです。

程度の問題ではないのです。

 

「隣の子どもが1万円万引きして補導されたけど、

うちの子は100円の駄菓子だから可愛いもんじゃない」

といってることと一緒です。

 

そういうところって、

アホみたいに「理想の上司になれる本」とか

「今求められるリーダー像」みたいな啓発本とか

ビジネス書とか買いあさっちゃうんですよ。

(別に啓発本・ビジネス書を否定しているのではありません。

僕自身も読みますし、勉強させて頂いております。

執筆者様・編集者様、ありがとう。)

 

で自分の悪いところが指摘されるていると

「おれは、オレだ。」みたいなどこぞのダディよろしく

聞く耳はもたず、都合のいいところだけ摘まんで納得しちゃうんです。

 

なんでしょう。ほんと、改善する気ありませんよね。

結局は「こんなんで大丈夫ですよね」って認めて欲しいだけなんですよね。

 

いいこいいこ!

 

ってそんなんは許されるのは小学生まで

いや、小学生でもしっかりしている子もおおいので、

3歳児までだよ!

叱るのが苦手なんです

ホント、久しぶりに記事書きます。

最低でも月1回は頑張りたいですね。

 

尾木ママが子どもは怒ってはダメっていってるように

僕自身もどんな状況であれ、「どうしたの?」っていう姿勢は

大事だと思うんです。

 

まぁ、万引きした子どもに対し叱るとかという話は

どこかで炎上しているようですし、対岸の火事として、

僕なりの考察を書いていきます。

 

僕は身分的にまだまだ下っ端だという意識があるのか、

全然他人を怒ったことがありません。

というか怒り馴れというものをしていません。

なんていいますか、怒れないんですね。

 

常に頭の中では「テメェは何様なんだ」と思っているため、

上からガミガミはよく出来ないんですよね。

 

よく叱る人をみかけますが、

そんな人に限って、叱る方法がへたくそなんだぁと、

思ってしまいます。

自分が出来ないことに対し、人に叱責するのはどうも見当違いな

気がしてならないのです。

 

とはいってもやはり叱ることをしないと

世間体上下関係が崩壊してしまう、すなわちなめられてしまうんですよね。

でもなめられないように人を叱るというのもおかしい話。

それはホント、恐怖というものを下の者に植えつけて、

圧迫させるほぼ独裁状態なんですよ。

しかも怒る際の意見というのは

一方通行がほとんど。

「僕の意見なのですが…」と横槍を入れると、

「この期に及んで何言ってんだ」と突き放します。

こんなのでは何も解決しません。

ただ、上下関係をはっきりさせたぐらいが関の山でしょう。

 

叱るには原因があります。

そこをきちんと究明して、諭すぐらいがちょうどいいのかなと思うのです。

好きでミスやる人なんて

冷蔵庫に潜らない限りいないんですよ。

 

だからこそ、そんな時こそ慎重な態度が求められるんですよ。

尾木ママのように「どうしたの?」じゃなければ

改善は難しいのかなと思うんです。

 

ま、上記の理由が僕が人を叱れない言い訳となるわけです。

 

やっぱりそれだと甘いんかなぁ。

何のために働くのか

知らぬ間にプレビューが1000を越えとりました。

こんな戯言に付き合ってくださって感謝です。
とはいってもその中の2割ぐらいは僕の足跡っぽいですが、
まぁ、これからも気長にぼちぼちいくんで宜しくです。

確か、以前社畜がうんぬんっていう記事を書いたのですが、
それについて、だいぶ考えが変わってきたので、
「働く」ということについて
もう一度考え直そうと思います。

で、今回のタイトルになる訳です。

おそらくこの質問はこれから就活される方にとっては
嫌というほど問われると思います。

正解・不正解というのはないだろうと思うのですが、
「まずは自分のため」であると僕は思っています。

はたからみると自己中かもしれませんが、
やはり自分が充実していないと、働けないと思うのです。

自分の為に働くのには何個かパターンはあります。
①プライベートを充実させるため(趣味とかいろいろ)
②家庭を持つため
③技術を覚えるため

僕からするとこの3つは働く上で、大切な理由だと思います。

何も会社の業務を等閑にしろっていっているわけではありません。
頑張れる理由があるからこそ、業務もこなせるのです。
さらに、自分を磨き上げるのにはなんていったって資金がかかります。
だからこそ精一杯働いて結果を残し、給与として還元されることを所望します。

このご時世はこういったモデルで組織として大きくなっていくのが理想的です。

ところがどっこい、
人手が足りないのに関わらず、
「何を甘ったれているんだ。まずは会社の為だろがい」
とそんなモデルはどこ吹く風で一蹴する古い体質の企業が多いのも事実です。

体感的にそういうところって、いわゆるブラック企業に多いような気がします。

もし会社の為に働いてもらうというのが全面的に強いところは要注意だと思います。
だって「会社の為なら死ねる」というものが成立してもおかしくないのですから。

ほんと、作戦は「いのちだいじに」がいちばんです。

とはいっても最近の若い方は無気力なまま、業務をこなす方も多いです。
それは一概にその若者が悪いというものでもありません。
(もちろん本人の意識は改善しなければなりませんが。)
不況不況と嘆かれて、人々が求めるのは、いわゆる「安定」です。
波風立てず、楚々と生きていたい人が増えたのが現状ではないでしょうか。

閑話休題。

働く目的というのは、結局何でもいいんです。
その目的意識というものが、様々な形へと変わっていき、
結果として会社という組織をつくっていければいいんです。
その目的意識が曖昧であるならば、まずは自分のために設定すればいいんです。
「地に足着いた」という言葉があるように、
まず自らをしっかり充実させてからでなければ、
何をするにしても中途半端になりかねません。

はるか昔農耕が中心の人々は生きるために
畑を耕していました。そしてもっと昔になれば
食べるものほしさにマンモスを追っかけていました。
これって究極の自分のためですよね。

だから、自分の為に働くのって別にかっこ悪くないと思います。
それが人として以前に、生命としての本能なのかもしれません。

「そんな社会は甘くねえよ」って前回は散々言ってきたのに、
今回はまさかその逆のことを書いています。
その理由は、「甘ったれてもいいじゃん」っていう社会がこの半年で
結構目の当たりにしたからでした。

でもその期間、まさかの半年。どんだけ自分を持っていないんだと、
そんな自分にうんざりしております。

ま、それが自分なんですけどね。

ホント、このコロコロ症候群は毅然としてなおりません。。。

常識とか当たり前とか、そこらへんの話

今は平凡なサラリーマンをしておりますが、
上司が部下を叱責したり、指導したりする場面をよくみます。

僕自身も、相当未熟でできないコなんで、良くしかられます。
で、そういう時に
「そんなの社会では通用しないのが常識だよ」とか、
「普通で考えたら当たり前だよ」と言うように、
『常識』とか『当たり前』とか頻繁に使っているのを聞きます。

ま、よくある光景っていえばそうなんですが、
僕的には、なんか、それを言ったらなんでもいいっていうような
すごく便利な魔法な言葉だなぁと感じるんです。

だって、ここでいう叱っている側、上司からすると
上司のいる立場っていうのが「常識」の世界であったり、
「当たり前」の世界から物を言ってる気がしてならないんです。

僕は「常識」とか「当たり前」という言葉が苦手です。
なぜなら、その言葉って人や時代によって、変わっていくものだと思っているからです。
自分が常識内の人間だとは思ったことはありません。

郷に入っては郷に従えというように、
一旦違う領域に入れば、常識とか当たり前とかそんなもの
簡単に覆ってしまうものと考えています。

例えば戦時中は外来語を使わないことが常識でしたが、
今では別に使ったって非国民とののしられたり、
怖い兵隊さんにいろいろ折檻されることもありません。

飛躍し過ぎかもしれませんが、
「常識」とか「当たり前」というのが
便利な言葉という面もありながら、いともたやすく崩壊する面もあるということです。

ここで話を戻しますが、
働く上で、その言葉を多用する人をよく見ますが、
狭い世界観を持ってるなぁって思ってしまうんです。

上司からする「常識」「当たり前」というのは
会社という組織の中で通用するものなので、
守ってほしいのはわかります。
会社ではいろいろ規律とかあり、正直めんどくさいところですが、
そこらへんをしっかり守っておかないと、仕事ができない窮屈な所でもあります。

だからこそ、常識という言葉を使って、
会社の歯車としていちはやく成長して欲しいというおもいから
その言葉を使って諭すのだと思うのです。

日本というのは礼儀・作法というのを重んじる民族です。
僕もその文化を大事にして行きたいとは思うのですが、
そこばっかりにしがみついているからこそ、不自由になっているのは確かです。

例えば、就職活動ではリクルートスーツを着るのが好まれ、
敬語をマスターするものもよしとされています。

いざ会社に入るとたくさんのルールがあり、
それが「常識」とか「当たり前」という言葉に
ひとくくりにされ、世代から世代へ語り継がれていきます。
だからこそ、そこを逸脱したようするに教養がなっていないものに対しては常識外として
度外視する風潮も強いように思います。

若い子は敬語とかマナーがなっとらんと聞きますが、
若い子には敬語とかマナーとかどうでもいいっていうのが
若い子にとっての常識であり当たり前であるのです。

そこをいやいや自分の常識を押し付けて
向こうの常識色に染めさそうとするのが、なんとも息苦しいのです。

この時代、多様化がすすみ、
別に敬語とかいろいろなものができなくても、
なんとかなる時代が来ています。

個性というのがなんじゃいというのもよく聞きますが、
なんかその考えって、今らしくないよなぁと考えてしまいます。

じゃぁひとりでなんとかしろよって話ですよね。

こういう考えを持つってことは僕ってサラリーマンに向いていないのかぁ。

やっぱ常識と言われる世界にもちゃんと耳を傾けなればならないのかなぁ。

そんな事を日曜深夜につぶやいてみる。